岡田ニコ生まとめ(無料部分のみ)ファン観点からのまとめである事をご容赦願おう 映画の出来は? どうだったか?面白い。当たり前だ。なぜならテレビ版と全く一緒だからさw(毒吐) (後に)100点満点でいえば、テレビ版と同じだから作品としてはそれは100点満点だよ 劇場版としてどうだといわれたらそりゃ0点だwファンムービーとしてのもろもろ踏まえれば劇場版としては50〜60点くらいかな? 「映画の出来」なんて物は存在しないwなぜならテレビ版を繋げただけだからさw(毒吐) 僕にはテレビ版との違いなんて分からないwでも金払って良かったとは思ってるよ そもそもテレビ版の出来がいいから気にならなかったよ (岡田氏はそもそも総集編映画が嫌いと前回も言っている) 「なぜアニメの総集編劇場版を作る必要があるのか?その理由を説明しよう」 ・映画館ビジネス筋に「実績」を作って見せる必要があるから ・ジブリなら出演する俳優の声優がワイドショーを使って宣伝できる。タイアップ枠もあってそこでバンバン宣伝してもらえる  映画なら出演俳優だけでも客を引ける アニメではそれが出来ない。それはアニメ映画というものが業界から見下げられてるからなんだ  だから「総集編でも客が引ける」その実績を見せる必要があった うって変わってシリアスに「ストーリー」「作り手の視点」「受け手の視点」「他作品との比較」の4点で話は進行する ・話はどうだったか? まさかのEVAからの比較から入る まどマギの「芝居場」の話(芝居場とはキャラが物凄くいい事を言いそうな瞬間と説明する) EVAは芝居場の前に映画的に映像で語ろうとし、芸術寄りな作り方をする 対して重要な芝居場でまどマギはロングでデザイン処理をしアニメっぽい表現をする まどマギの手法は逃げとも取れる、がそれによって作り手の思いの「伝わる確実度が格段に違う」というメリットを生んだ EVAが解釈の幅があると言われるのはアスカ、レイやシンジなどの(思い込みの強い)キャラクターのセリフ群と映像とを 受け手が総合的に判断して考えなければならないから。 だが対してまどマギはその点「丁寧にセリフでズバッと」語るからブレが無い。 まどかは思いを伝えようとしている。だからまどかは実にいい涙を流せる。泣ける理由も説明できる。 EVAは泣けない。例えEVAで泣いている人がいてもおそらく理由を説明出来ない。そこが最大の違いである。 不覚にも今日だけで3回目頭が熱くなったが必死になって逃げた 元はとれたかって?取れたよ。大画面で見れて良かったと思うよ。 期待していた新作部分は全く無かったがねw ・EVAは芸術よりではあるがまどかはより「作家性」が強い EVAは所詮「通俗的な男女関係とか青春の迷い」までしか扱っていない文学的な事しか扱っていない まどマギはなんでアニメを、少女物を作ろうとしているんだろう?という作り手の考え、 さらには見てるやつも作ってるやつも99パーセントはおっさんなのになんでこんなに感動できるんだろう?(一同笑い) そういういうところまで踏み込んでいる。それはEVAで踏み込みたかったけど出来なかった世界 魔獣が富野 由悠季に見えたって?うんそれは君だけじゃない?(一同爆笑) ・まどマギで好きなキャラは? まあ監督だよね僕は監督が好きになった? あといい話を作ってくれた脚本家ありがとう。 あんな目が離れたヒラメみたいなキャラ好きになれったってムリムリw(絡めて後に語られる) (そして唐突に自分の考察を列挙し始める。意図は後に語られる) 動物はただ生まれて死ぬのであってそこに希望や絶望は無い 人間が知恵や希望、絶望を持つようになって初めて、生きようとして諍いを産む。 そこで熱的死による宇宙の死の話。なぜ銀河超文明は熱的死を避けようとしたのだろうか? 「死ぬ事に絶望するはずのない感情が無いキュウべぇ達は何故宇宙が滅びる座して待つ事を良しとしなかったのか?」 つまりあらゆる生命体はただ死ぬ事を良しとしないという事ではないか?もしかしたら感情を持っているという証拠じゃないだろうか? まどかが地球を救ったようにいろんな星に守護神がいて星を守っているかも?もしかしたら労働組合みたいに1年1回労使交渉をしているかも?w パラレルワールドの構造をうまく使えばキュゥべぇは熱的死を避ける事が出来るのではないだろうか? まどマギはいわば「モンスターズインク」と同じ構造、つまり、片方の世界の「災難」によってもう一つの世界が形作られている世界 南半球が貧困に喘いでいる為に北半球が繁栄していられるように、 東北に原発を作って沖縄に米軍基地を作っているから平和に暮らしていられるようにとか? なんでこんな事を話したかというと、(キャラで誰が好きだとかそういう事以上に) まどかマギカはそれをベースとしていろんな事を考える事が出来る凄くいいテキストなんだ アニメだけでは収まらない感じ、いくらでも楽しい妄想ができる ・まどかはものすごく端的に言えば「イエスキリストになった」と言える(意図は後に語られる) イエスキリストが非常に優秀な預言者であり、全世界に共通の宗教、原則、原理をうちたてた男、だが教祖どまりだった だが、磔にされるという犠牲を払う事によって救世主という概念になれた プロテスタントの宗教家と話をした時に、「私たちが信じているのは神ではなく救世主の復活である」と言いきった それはイエスキリストが救世主として概念になった事の証拠であるとも考えられる まどかマギカという話はキリスト教をそのまま持って来たものとも言える じゃあなぜ僕たちはそれを少女の物語としてしか作れないんだろう(批判ではなく問題提起) これがリアルな話で、もっと強い「男の話」だったなら、もっとスケールのでかい話にもに出来ただろう 僕達日本人は、最もか弱く泣き虫の女の子が体中を引き裂かれ、血を流し、何度も死ぬようなドラマを見せられてでしか 救世主の復活を受け入れられないような「重度の患者」になっている、日本人って不思議だよね 2000年前は男の救世主を求めた我々がなぜ、少女の救世主がこの世の歪みを赦す物語を求めちゃうんだろう 俺達が今信じられる人間の行為の純粋さ、悪意の純粋さ、残酷の純粋さというのは女の子にしかないんだろうね 俺たち「男」は少女の物語の消費や、少女の救世主の復活を求めるだけのわき役になってきているんではないだろうか 「(コメント)宮崎駿が全ての元凶では?」宮崎先生は自分が病気である事を自覚しているから まだバランスを取るために男を取り入れてるじゃないかw まどかは地球やその他の世界あらゆる文明、生きるためにあがく事を救う事によって 「『そうじゃないもの』の上部構造」を破壊したとふっと考えた まどかは魔法少女にとっては正義でも、宇宙にとっては悪の魔女なのかもしれない それを新作でやるんじゃないかなと妄想している 悩みのるつぼについて 「悩みのるつぼ」という自身の朝日新聞の連載において悩みを解決するために 岡田氏は「フレームを広げる」というアプローチをとる まどかマギカにおいて、ほむらは「悩みのるつぼ」のジレンマに陥った、自身の思い込みによって思考のフレームを狭めて行く これしかないまどかだけは守りたいというどつぼにはまってどんどん視野を狭めていく それらは的確なミスリードとして視聴者に与えられ機能し、天秤の反対側の重りとして機能し伏線を生む。 それらがまどかがそれら全てを覆す一手の輝きを引き立たせる その構成により「話の整合性そのものが感動を産む」のである それでさらにセリフで魅せる だから凄い話だと感動できたのだ まどかマギカの世界で繰り広げられる厚い世界に対し、我々は温く、寒い世界に生きている まどかマギカの新作がその対比に踏み込む事が出来れば、EVAとは全く違う感動に持っていけるのではないかと期待している 我々クリエイターは皆に愛されるキャラクターを不条理に殺すことによって視聴者の関心や感動を買っている 悪魔の取引と言ってもいい。アニメのクリエイターでこれを考えていない人間はいない、いつかその問題にたどり着いてしまうのだ その問題にたどり着いてどんな回答をそこで示す事が出来るのか?そこでクリエイターの器の大きさが計られる その時、ガンダムの冨野はZZで方向転換し、大衆作家としてその方向ではいけないと考えた EVAの庵野は昔の劇場版で観客席を映し観客に問いかけ、新しい劇場版は「いい作品を後世に残そう」としている まどかマギカのスタッフはまだ後世の事を考えなくてもいいくらい若い。もう一息暴れられるんじゃないだろうか シャフトはどう思う?いい会社だと思う。よく作りきったと思う。頭がいい。 楽の仕方を知っている。大事なシーンの引き絵やデザイン処理と止め絵は 息を切らさずアニメを作る方法を知っているということだ 次の作品のクオリティはきっと上げてくるだろう (気に入った演出は?)全般的に気に入っている ○○○よりは分かりやすくて助かった(対立嫌いだから勝手に伏せさせていただく) 萌えアニメが嫌いってのはわかる 絵がちがったら見やすかったよね?でもあの絵である事に意味があるんだよ。絶対に(強調) リアルからかけ離れたあの萌え絵じゃないと語れないリアルさ、照れずに受け取れるメッセージがあるはずなんだ あのキャラじゃないと目頭は熱くなれない。例えばおおかみこどもで僕が泣けなかったのは安全を取ってしまったからだ。 まどマギくらいに振り幅を取ってアーティスティックにやったらもっと出来たはずなんだ。 リアル路線ならEVAぐらいにアニメでここまで語っていいのか?という領域まで踏み込まなきゃだめだし、 「なんで私はアニメを作っているんだろう」という気持ちを作り手が視聴者と共有するつもりなら まどマギくらいのキャラにして綺麗にオブラードに包んであげないときっと吐いたと思う ほむらの行動は正しくないけどこれしかないという必然なんだ 俺たちが何度も結末を知っているアニメをみるのは そこから希望や絶望を貪るように受け取って翌日の活力にする為さ ただアニメに感動するだけなら僕らは消費者でしかない。それは作り手だけが偉くなって勝つだけなんだ そこから何を学び何を語れるかを語れるのがが重要 僕らのファンの恩返しはそういうふうに語り合って感動を150、200パーセントにして他の人に伝える事 ○○○と対談?やだよあんなやつ!w○○○と対談とかあんな性格の悪い奴と語り合うのやだよw氷川さんとは話してみたい 自分が好きになったアニメはああでもないこうでもないと考えてそれでなんかやってみてよとやるのが僕の恩返しだと思っている